名称 :「ある人々の心をめぐる旅 服部篤浩展」
会期 :2014年5月6日(火)~5月11日(日)
場所 :札幌市民ギャラリー 第1展示室


絵画制作:服部篤浩
動画製作:大山佳輝 http://yoshiki-ooyama.xii.jp/
協力:梅木はるか、浅田啓、高橋俊介、佐藤功剛、佐藤奈津子、服部篤隆、服部智行

服部篤浩展展示位置

「たとえば抱擁する時、私達は腕の中にいるその人をどのような大きさに感じているだろうか?」

この展示はある登場人物6人の心をめぐってなされる、人間の大きさと距離についての考察である。

会場には頭部の入れ替わる高さ3~5mの肖像画6点を展示する。それぞれの肖像画は一つの体と複数の頭部、各々に付随する風景画、これら複数の作品で構成されている。他に作品を鑑賞するための物差しとしての絵画3点を展示する。

この6人の人物は実寸大よりはるかに大きく描かれている。この異様とも言える大きさで肖像を描いたのは、私が感じ取った主観的な大きさで人間の姿を描き出したいと思ったからだ。人は対象との関係の強さによって心で感じる大きさが変わる。例えば愛する人の存在は心の中でとてつもなく大きいだろう。

拡大して描かれた対象は、観る人と対象との距離感をゆるがし、通常の関係とは異なるものとなる。同じ距離にあってもより心に近いとも言える。そのような通常とは異なる距離感をもった6人の肖像画をめぐることによって、対象を認識する時のイメージの大きさと絵画が表す対象との距離の関係について考えることが本展覧会のコンセプトである。作品を通じて心までの距離の存在が感じ取ることができればと思う。

6人の肖像は体と頭部のパーツがそれぞれ別のキャンバスに描かれているが、これは人間を変容を内包するものとして表したかったからである。人間は肉体と精神でできているという二元論で語ろうとしている訳ではない。今日の自分と明日の自分が常に同じとは限らないということである。ひとりの人間像は変容する可能性を孕んだはかないものの持続と延長の上に成り立っている。そして心の変容を繰り返しても体は唯一である。故に一枚の体に対して複数の頭部と風景画を描いた。これら複数の作品は一括りとして登場人物を登場人物たらしめているものである。着せ替え人形のそれではなく、旅をする人間像として。その変容する人間を表す試みとして今回、展示期間中に作品の展示位置を入れ替え、動的な展示とする。

それぞれの登場人物と一緒に展示されている風景画は、私が登場人物を思い起こすときに浮かぶ場面である。それぞれの場面には様々な形のグレーで塗られている部分がある。このグレーは登場人物の心に近づくために塗られている。

ある人の心を見ようとする。どんなによく知っている人だろうとわからないことの方が圧倒的に多い。そもそも自分の心でもすべてが明瞭になっている訳ではない。心というものははっきり見ようとするとそれぐらい不明瞭なものなのだ。

ある人を理解しようとしたり、思い悩むこと。存在の大きさを見つめ直すこと。物事や作品を理解しようと考えること。その時に歩み寄る距離こそが『心までの距離』である。

私達は人と人との関わりの中で生きている。時に分かり合えない人に出会ったり、親しい人と仲違いすることもあるだろう。たとえ互いに分かり合えなくてもそこには絶えず『心までの距離』は存在する。これは人間の営みでとても重要な要素だと思う。新しい出会いや発見はその存在を感じ取ることから始まるのだから。

『心までの距離』の存在を感じながら、人生を旅することができるのなら、面白いと思う。そんなふうに旅をするならば、人は実存しているサイズよりもっと大きい存在かもしれない。これが今回の作品の制作を始めたきっかけである。

物差しとしての3点の絵画

「3本のバラ」
切り取られた花のいのちと美しさ

「友人」
3人の友人の関係性

「林と煙突」
刻々と変わりゆく空

これら3点の作品はそれぞれの作品の主題にグレーを塗ることによって作品の主題をより明確にした。
今回の展示ではそれぞれの登場人物と一緒に風景画が展示されている。それらの風景画にもこれら3点と同じようにそれぞれグレーが塗られている。それは登場人物の心に近づくためである。
これら3点の作品を物差しとして、登場人物の心までの距離をつかむための助けに利用してほしい。

新聞掲載:北海道新聞(5月9日夕刊)

インターネット掲載記事:
北海道美術ネット別館(5月16日)
Yoshiki Ooyama officialwebsite(5月11日)