動きを鈍化させるもの。
自分がかけがえのないと思ったものが実は陳腐なものであるかもしれないということへの恐れ。
(Monday, January 23, 2017)
 
 
 
 
 
何をやっても振り払うことの出来ない泥の様なもの。
(Wednesday, January 18, 2017)
 
 
 
 
 
なんだっていいんだよ。撮るだけなんだから。 「森山大道」
(Sunday, June 19, 2016)
 
 
 
 
 
絵の具である事を忘れないこと。これはかなり大事な事だ。
緊張感と完全なる調和。
(Sunday, December 26, 2016)
 
 
 
 
 
絵画とはもっと危ういものであるし、そうあるべきだ。
(Saturday, December 24, 2016)
 
 
 
 
 
他人行儀な写真
(Tuesday, June 21, 2016)
 
 
 
 
 
イリュージョンを保留させる。引っ張る。
絵画空間への言及。
(Friday, June 3, 2016)
 
 
 
 
 
あなたの表現の正解はあなたの中から導かれるものである。
(Friday, June 3, 2016)
 
 
 
 
 
偶然性のうねりの中で泳ぐ感覚。スナップという行為。
(Monday, May 2, 2016)
 
 
 
 
 

他愛もないこの夜の街灯がいつも気にかかるのはなぜだろう?
ここから何か見出すことはあるだろうか?たんなる光景か?

闇に浮かぶオレンジ色の光
空間の遠近を際立たせるかのように立つ複数の標識や看板
路面に映る複雑に交差する電線の影
(Tuesday, May 17,2016)
 
 
 
 
 
記憶に張り付いた染みのようなもの。
(Saturday, March 26, 2016)
 
 
 
 
 
描写と塗りつぶしについて
日々の体験とその中で取りこぼしてゆく多くのものとの類似性。
(Wednesday, March 16,2016)
 
 
 
 
 
モランディ展(東京ステーションギャラリー)雑感

モランディの絵を観る距離について。
近くで鑑賞してもシンプルで細部を欠いているのであまり近寄ることに意味がない。目をこらそうとしても無駄である。視線は金縛りにあったかのようだ。想像以上に実体感が希薄である。‎思念の絵画。絵の具が物にモチーフに従属していない。物質感が希薄。マチエールはあるのだが。絶望的なまでに視覚的である。

モランディの作品の中には少数の花の絵が存在する。
花の絵は他の作品とは区別して考えていたらしい。発表することはせずに一部の親しい人だけにあげた。モランディにとって花の作品は感傷的なものであり、発表するものではなかった。この事はモランディのモチーフの選択をいかにシビアに行っていたかが伺える。いかにモランディの描く花が儚げな甘美を匂わせていも、それは表に出さないという強い制作に対する意識。何を描かなかったかを考えることによって炙り出されるモランディの芸術の核心がある。
(Thursday, March 3, 2016)
 
 
 
 
 
私は無限に広がるような開かれた意味性を持つ出来事を絵画で現したいと考えています。それは画家の主体性によって世界を規定する方法とは異なるものであると考えています。‎常に開かれたものとして存在します。
風景やモチーフはまず無条件に描かれる対象として存在します。それは自分の主体性の範疇に収まらないものです。
ブルーはそれらの風景の持つイメージに私が絵画的に介入するための手段です。ブルーによってもとのイメージの持つ意味を揺さぶり、イメージと観る人との関係性を新たなものとする試みです。
美しき世界を私なりに描き出すための方法です。
(Saturday, March 19, 2016)
 
 
 
 
 
私にとって描くということは私を取り囲む世界と関わるということです。
(Sunday, January 31, 2015)
 
 
 
 
 
何も疑う要素のない絵画とはどんな絵画か?それは存在しうるか?
(unknown,2015)
 
 
 
 
 
絵画を意識しないで描くこと。絵画的な処理はかならずとも必要ない。記録されたリアル、生々しさを描くこと。そのためには場合によって描き込みも不要になる可能性もあると考えておく事。たとえば大胆な省略をすればどうなるか。
(unknown,2015)
 
 
 
 
 
樹木の枝が伸びて空間を浸食する。存在する樹木の伸びる先、その部分の不在を想像してみる。不在から現れる存在のイメージ。絵画に当てはめてみる。
(Friday, February 5, 2016)
 
 
 
 
 
作品とは、芸術とは、ある事柄に対する問いや現れであって、答えではない。答えであるならそれは何かを説明する図にすぎない。作品は常に外部と関係を持ちながら常に蠢き、永遠性を獲得する。
(Saturday, January 2, 2016)
 
 
 
 
 
自分の作品や良いと思っている作家を批判する。
(Thursday, November 19, 2015)
 
 
 
 
 
千利休の庭掃除。
綺麗に落ち葉を掃き終えた庭に、落ち葉を数枚パラパラと撒いた。
(Wednesday, January 6, 2016)
 
 
 
 
 
いつか地球上の全てを炎が焼き尽くす日が来るだろう。人類の進歩の記録として惜しまれる芸術作品は何だろうか。
ギリシャ彫刻の持つ抽象性。開かれた作品。
(Friday, November 20, 2015)
 
 
 
 
 
作品があっさりと受け入られることへの不満。
これは何か?
(Wednesday, January 13, 2016)
 
 
 
 
 
ある人の作品についての記憶。
ブルーやグレイのあったことが忘れられる。どこにあったか塗られていたかも思い出せない。ガラスのブルーは印象に残っているとのこと。
作品は人々にどのように記憶されるのだろうか。
(Thursday, January 28, 2016)
 
 
 
 
 
作品を鑑者に解りやすく伝えることと、作品を解りやすくすることとはまったく違う。
前者は作品自体の質には影響しないが、後者は作品を創りだして行くのにもっとも重要な要素である純粋さに大きな影響を与える。それはじわじわと表現者の魂を侵食してゆく。油断していると気づかぬ内に羽をもがれる。
(Wednesday, December 30, 2015)
 
 
 
 
 
作品がわかるわからないは作品作りにおいては関係のないことである。常に最善を尽くして描けば良い。道には際限がない。
(Thursday, November 19, 2015)
 
 
 
 
 
福生の彫刻家
ブルーやグレイは形を考えていないのか。そんなことはないと伝える。
(Thursday, January 14, 2016, at Gallery Okabe)
 
 
 
 
 
ストロークは形態を回避させる。
(unknown,2015)
 
 
 
 
 
Medium(グレイやブルー)はタッチであると同時にマチエールであり、フォルムである。
(unknown,2015)
 
 
 
 
 
「これからが楽しみですね。お若いですから。」
などというコメントは何を意味しているのか。
現時点ではいまいちなのか。
現時点より良くなる可能性をするどく見抜いているのか。
現時点ではよくわからないから茶を濁しているのか。
現時点以降もっと良くなることを期待してのことか。
こんなことやれるのは若いからという事を言いたいのか。
これらの作品を歳をとっている人が描いていたら何と言うのか。
(Thursday, January 14, 2016 , at Gallery Okabe)
 
 
 
 
 
イメージとマテリアルのちょうど良いマチエールバランス。
最小限にシンプルに描かれたイメージと関わる。絵画的な装飾は無用である。上に乗せる絵の具は単色にすること。
(unknown,2015)
 
 
 
 
 
Medium(グレイやブルー)自体は瞬間性を有しているわけではない。純粋に絵画に物質として関わるものである。色彩、フォルム、マチエールとして。しかし描かれた主題と関わることによって時間や空間の概念を孕む。主題と関わる事によって何物かに変容する。意味や観念が発生する様。
(unknown,2015)
 
 
 
 
 
写真だと思って数人の若者が入ってくる。
間違ったと言いながら何の反応もなく立ち去る。
(January 14, 2015 , at Gallery Okabe)
 
 
 
 
 
不在の写真
何か(主題)欠損している写真=情報これらに対する補填行為=グレイorブルー
何を?開かれたものにする。
(unknown,2015)
 
 
 
 
 
欠損写真の重要性
取り留めのないもの(失われた意味性)から無限の意味性を持つ絵画への転換
転換装置としてのグレイandブルー
救済? 何から何を?
記録の持つ完全性の解体と絵画的な再構築。
(October 20, 2015)
 
 
 
 
 
芸術は人類の洗練された遊びである。
常に遊びの中に芸術的な進歩があった。ダヴィンチが見出されたのも師匠のヴェロッキオの絵を手伝いながらも自分らしさを殺さなかったからだ。
たとえ依頼された仕事であろうとも、芸術家はその要求された仕事のなかで遊びを見出す。芸術的な革新は常に依頼された仕事の中心ではなく、遊びの中で起こる。
(unknown,2015)
 
 
 
 
 
写真。そうです写真として記録され記憶された情景をモチーフとしています。これらの記録は自分で撮影したものもあるし、知人が撮影したものもある。大げさな対象を選択する必要はない。私の身近にあるもので構わないのです。杓子定規的なモチーフを選んで深刻ぶるようなことは必要ない。
(unknown,2015)
 
 
 
 
 
ブレヒトの異化効果について
Mediumは絵画一般の描写表現に対する異化効果作用を持っているが、それが全てではなく目的でも無い。ブルーやグレイはイメージと密接な関係性を保ちこれら上層と下層は一つの絵画として存在する。
異化効果という枠に収められないような作品の読みを観者に与えなければならない。作品の強度によって。‎
(Thursday, October 15, 2015)
 
 
 
 
 
150号の制作。
絵画であることの必要性はある。
絵画であることそれは意思である。
(Saturday, December 12, 2015)
 
 
 
 
 
望ましいのは人を惹きつけながら困惑させるような絵画。
(Saturday, December 5, 2015)
 
 
 
 
 
どこまでが必要な描き込みか常に判断すること。生き生きとした感じ、すべての部分の関係性が表出するなら描写している事は間違っていない。必要なのは細密な描写ではない。それぞれの作品に必要な描写を判断すること。
(unknown,2015)
 
 
 
 
 
写真を写すことの抽象性
画家と外界との繋がりとして確実に言えることは、私はこの写真を使って描いたという事です。
ある写真の純粋に視覚的な情報を
観念的なフォルムや場面設定が必要になることは無い。
(unknown,2015)
 
 
 
 
 
いつもと同じ日常なのにどこか違う国に旅行にきているような感覚。
周囲の文字が意味を失って図像に見える。
長くは続く感覚ではなく、特に運転などの移動中に多い。
ノスタルジーと関係があるだろうか。
(October,2015)
 
 
 
 
 
タッチは明確な意思を表すように付けられなければならない。
すべてのタッチや色が明確な意思を持って共鳴しあい、一つの絵画空間の中でそれらは関係性の網を張り巡らせる。
すべての画面内の要素が支え合っている状態。これが絵画が作者から離れて独立して存在している状態であり、画家からみると作品が完成したとして筆を置く時である。
(Monday, December 14, 2015)
 
 
 
 
 
絵画の魅力とは何か?
意味として消化されないもの、消化しきれない部分を持つものが魅力ある良い絵画である。一度わかったと思われるような物をいくつも鑑賞するという行為は私はこれを知っているという事の確認作業であり、知っているという安心感を求めているにすぎない。良い絵画は常にひとつの解釈から逃れ続ける。言語化して理解することが不可能な領域こそが絵画表現の楽園である。作者の説明からさえも作品の持つ意味は逃れ続け、常に新たな意味を生成する。
(Thursday, December 3, 2015)
 
 
 
 
 
グレイやブルーが塗られることによって作品は完成される。最後の行程は非常にドラマチックで自分の予想できなかったような効果が生まれる。最後の行程が上手く行った時、一気に私の手を離れて作品として存在するようになる。この効果には常に驚かされる。モチーフとの関係性を絵画自体がもつことになる。
(unknown,2015)
 
 
 
 
 
いたずらの塗り潰し
絵画的な身振り
(unknown,2015)
 
 
 
 
 
美の在処について
美は対象物にあらかじめ内包されているものではない。美しい野花は美しく見られるから美しいのである。
(unknown,2015)
 
 
 
 
 
制作することと思索することはともに重要である。どちらか一方に偏ってもいけない。何を描くかはとても重要であるし、どの様に描くかも重要である。
(Tuesday, November 3, 2015)
 
 
 
 
 
なぜグレーやブルーを塗るのですか?下に描かれている記録に介入するためです。なぜこの手法を選んだのかといえば、この方法を取る前からずっと待ち望まれていたような気がします。私の中で生まれるべくして生まれたものです。
 
 
 
 
 
あれこれ理由があってグレーを塗るというよりはそのようにしたいが優先している。なぜ塗りたいかと問われれば塗りたいからだと答える他ない。塗りつぶしはサインや私の画風を決定させるために塗るのではなく、描かれた絵画空間、もの、事と関わるための手段である。
(unknown,2015)
 
 
 
 
 
たとえば空を眺めて色や雲の形を楽しむような心持ちで作品を眺めてみる。純粋に現象のような絵画。そのように作品を観てもらうことは出来るだろうか?
(Wednesday, October 14, 2015 4:20:44 PM )
 
 
 
 
 
Mediumは表面であり空間である。
Mediumは構図に追従してはならない。構図をゆり動かすこと。
(unknown,2015)