INFOMATION
- 2023-12-28 「旅の途中」展示風景をアップしました。 NEW
- 2023-11-21 個展「旅の途中」開催のお知らせ
- 2023-03-17 東久留米教室展のお知らせ
- 2023-01-01 新年のご挨拶
- 2022-11-11 Wallscape.に作品を追加しました。
- 2022-01-07 新年のご挨拶
- 2022-01-07 オンライン写真展示「遭遇」を開催いたします。
- 2022-01-07 ホームページをリニューアルしました。
3d-galleryを開設しています。バーチャル空間で展覧会の雰囲気をお楽しみ下さい。 - 2020-12-01 「透明な街」展示風景をアップしました。
WORKS
旅の途中
「旅の途中」と題されたこの展示は、私の経験や記憶のイメージを感覚的に表す試みです。私は色面塊であるM(Medium)を媒介として、対象の発するイメージ(心)を巡る旅をします。グレーやブルーなどのMは対象の一部を隠蔽しており、これはイメージの不明瞭さを表すと同時に、私の分身でもあります。画面内の空間に溶け込み、対象物と交流しながら、それらとの関係性を探り、自分の心の在り方や現実世界の捉え方について問いかけます。
描かれている場面は、私の体験や記憶に基づいており、見慣れた景色の中を旅人のように歩いた時に感じたり発見したもの、または何かをきっかけに思い起こされる記憶です。遠い日の記憶は、旅の途中で見た夢のようにも感じられます。
私は現実との関わり方を作品を通して探ることができると考え、制作しています。この展覧会が、作品をご覧になった方々の心の旅を想起させたり、想像する場になればと思っています。始まりも終わりもない私たちの旅が素敵なものであることを願っています。
服部篤浩個展 「 旅の途中 」
会場:ギャラリーヨコハマ
日時:2023年12月2日(土)〜12月25日(月)
透明な街 Drawings.
透明な街シリーズ制作の為のドローイング作品。
2020年〜
透明な街
「大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも」北原白秋
この街は真昼の静寂さの中にあり続けます。
透明な街は、私が街を歩く中で出会った人々を描くことによって発見された街です。
彼らに注ぐ光は透明で、彼らが落とす影は、その存在など無かったかのように足元からすぐに街に溶け込んでいきます。
誰かの中に自分を探し、誰かの中に自分の影を縫い付けて、自分の存在を確かめる。繋がりの街。
服部篤浩個展 − 透明な街 −
本展は「透明な街」と題し、ある街の人々を描いた絵画作品約15点と、街を歩くなかで出会った存在を収めた写真作品約40点を展示します。これらの作品はある時代の透明性についての一考察です。
会場:横浜市民ギャラリーあざみ野 展示室2F全面
日時:2020年10月22日(木)〜11月3日(火)
Photo Drawings.
ドローイング作品。
すべての作品
420mm×594mm / プリントの上にアクリル絵具 /2019年〜
上描きされた風景
上描きされた風景 - Over-painted landscapes -
会期:2019年5月8日(水)〜5月14日(火)
会場:MEDEL GALLERY SHU
参加作家:
上出由紀
髙木優希
高橋稜
服部篤浩
Curation:Tomogi Arts 荻野智視
定義できない現実
― 定義できない現実 ―
ここに展示してある作品は、私の生まれ故郷の北海道や現在の拠点である横浜や東京、作品の内2点はこの展示場所(ギャラリーオカベ)のある銀座4丁目が題材であり、私に身近な場所をスナップ撮影し、それをもとに描いたものである。
撮影という行為の中で出会い、切り取られるもの。そしてそれを更に描く。この過程で発生する(欠損させると同時に付随させる)ものが画面に登場する色面塊であるメディウム、または「M」。と私は呼んでいる。Mは描かれたイメージとの浮動的な関係として画面に登場している。
いつも写真機は私のイメージを超えた外界の瞬間をありのまま切り取る。私はそれらの切り取られた瞬間を描き、現実世界の在り様を絵画にすることに関心がある。定義できない現実として。
服部篤浩展 -定義できない現実-
2018年8月20日(月)~9月1日(土)
ギャラリーオカベ
介入する絵画
展示作品はすべて、日常のある場面をとらえて描いたイメージ上に、グレイまたはブルーの絵具が塗られ仕上げられています。グレイやブルーの絵具は私がイメージに介入するための媒介物です。私はイメージに介入することによって、元のイメージの意味をずらし、揺さぶります。そうして外界とそれを観る者の作り出す意味との関係の再構築を試みます。それはすべての物事の意味が開かれたものであるということを確認するためでもあります。その行為は例えるなら、冬の日の白く凍った窓ガラスの表面を、冷たい痛みを感じながら手のひらで少しずつ融かす行為に似ています。
道端に咲く一輪の花は美に関係なくただ在ります。そこに可憐な花の美しさがあったのなら美しさの在処は対象そのものと別のところにあるのです。私は、存在するものがただ在るように、美が意味付けられることを予感させる美以前のもの、開かれた意味を持つ存在そのものとして絵画を作り出したいと考えています。
グレイとブルー(媒介物 medium)について
グレイ。
白から黒へと至る無彩色のチャートは、すべての始まりと終わり、生と死、無や無限などを私に連想させる。グレイはその直線上のチャートのどこかの位置に存在する。グレイは絶対的な光と闇の間に位置し、我々の生きる現在である。
ブルー。
青い空・青い海、私にとって青はいつも遠くにあってそれらは捉えることのできない不安と安らぎとを同時に与えてくれる。このブルーの持つ距離感は対象のイメージと距離を適切に保つことを可能にしてくれる。私が過去の日を思い返す時、記憶の中の空はいつも青い。
服部篤浩展 -介入する絵画-
2016年1月7日(木)~1月23日(土)
ギャラリーオカベ
ある人々の心をめぐる旅
「たとえば抱擁する時、私達は腕の中にいるその人をどのような大きさに感じているだろうか?」
この展示はある登場人物6人の心をめぐってなされる、人間の大きさと距離についての考察である。
会場には頭部の入れ替わる高さ3~5mの肖像画6点を展示する。それぞれの肖像画は一つの体と複数の頭部、各々に付随する風景画、これら複数の作品で構成されている。他に作品を鑑賞するための物差しとしての絵画3点を展示する。
この6人の人物は実寸大よりはるかに大きく描かれている。この異様とも言える大きさで肖像を描いたのは、私が感じ取った主観的な大きさで人間の姿を描き出したいと思ったからだ。人は対象との関係の強さによって心で感じる大きさが変わる。例えば愛する人の存在は心の中でとてつもなく大きいだろう。
拡大して描かれた対象は、観る人と対象との距離感をゆるがし、通常の関係とは異なるものとなる。同じ距離にあってもより心に近いとも言える。そのような通常とは異なる距離感をもった6人の肖像画をめぐることによって、対象を認識する時のイメージの大きさと絵画が表す対象との距離の関係について考えることが本展覧会のコンセプトである。作品を通じて心までの距離の存在が感じ取ることができればと思う。
6人の肖像は体と頭部のパーツがそれぞれ別のキャンバスに描かれているが、これは人間を変容を内包するものとして表したかったからである。人間は肉体と精神でできているという二元論で語ろうとしている訳ではない。今日の自分と明日の自分が常に同じとは限らないということである。ひとりの人間像は変容する可能性を孕んだはかないものの持続と延長の上に成り立っている。そして心の変容を繰り返しても体は唯一である。故に一枚の体に対して複数の頭部と風景画を描いた。これら複数の作品は一括りとして登場人物を登場人物たらしめているものである。着せ替え人形のそれではなく、旅をする人間像として。その変容する人間を表す試みとして今回、展示期間中に作品の展示位置を入れ替え、動的な展示とする。
それぞれの登場人物と一緒に展示されている風景画は、私が登場人物を思い起こすときに浮かぶ場面である。それぞれの場面には様々な形のグレーで塗られている部分がある。このグレーは登場人物の心に近づくために塗られている。
ある人の心を見ようとする。どんなによく知っている人だろうとわからないことの方が圧倒的に多い。そもそも自分の心でもすべてが明瞭になっている訳ではない。心というものははっきり見ようとするとそれぐらい不明瞭なものなのだ。
ある人を理解しようとしたり、思い悩むこと。存在の大きさを見つめ直すこと。物事や作品を理解しようと考えること。その時に歩み寄る距離こそが『心までの距離』である。
私達は人と人との関わりの中で生きている。時に分かり合えない人に出会ったり、親しい人と仲違いすることもあるだろう。たとえ互いに分かり合えなくてもそこには絶えず『心までの距離』は存在する。これは人間の営みでとても重要な要素だと思う。新しい出会いや発見はその存在を感じ取ることから始まるのだから。
『心までの距離』の存在を感じながら、人生を旅することができるのなら、面白いと思う。そんなふうに旅をするならば、人は実存しているサイズよりもっと大きい存在かもしれない。これが今回の作品の制作を始めたきっかけである。
物差しとしての3点の絵画
「3本のバラ」
切り取られた花のいのちと美しさ
「友人」
3人の友人の関係性
「林と煙突」
刻々と変わりゆく空
これら3点の作品はそれぞれの作品の主題にグレーを塗ることによって作品の主題をより明確にした。
今回の展示ではそれぞれの登場人物と一緒に風景画が展示されている。それらの風景画にもこれら3点と同じようにそれぞれグレーが塗られている。それは登場人物の心に近づくためである。
これら3点の作品を物差しとして、登場人物の心までの距離をつかむための助けに利用してほしい。
「ある人々の心をめぐる旅 服部篤浩展」
2014年5月6日(火)~5月11日(日)
札幌市民ギャラリー 第1展示室
絵画制作:服部篤浩
動画製作:大山佳輝
協力:梅木はるか、浅田啓、高橋俊介、佐藤功剛、佐藤奈津子、服部篤隆、服部智行
PHOTO
遭遇
これらの写真は東京や横浜・札幌など私の住む身近な街でのスナップ写真です。私におけるスナップ撮影という行為は、私の身体がカメラを通していかに外界を見いだすかという、視覚的・肉体的な働きかけであり、街で起こる普段気にも留めない出来事を、撮影することによって思考し見つけることです。それらの出来事を見いだし、像として留めたいという欲求が私の撮影の原動力となっています。
一歩外にでれば世の中は、些細かもしれませんが二度とは起こり得ない偶然の出会いに満ちています。それらの幾多の出会いから、少しでも浚ってなにかを撮り残すことができるかもしれないと私は撮影に繰り出します。それは私を常に新鮮に保っておくための浄化作業でもあります。
2010年~2020年
世界の遊び
街を歩き撮影していると、そこかしこに人の意図からはみ出て存在する物たちに出会います。私はその物たちの在る様を写真として所有したいという気持ちに駆られ、シャッターを切ります。
それらの存在は日常においては見過ごされる些事にすぎませんが、私には特別な存在として映ります。私はそれらを「The play in the world /世界の遊び」と呼んでみることにしました。ここで言う遊びは、例えば「ハンドルの遊び」と言う時に使う遊びと同義です。それは極少ない余剰がもたらす大きな豊かさです。
世界は存在や出来事の互いに侵食しあう余地を残し、揺らめき輝くように出来ていると思います。私にとってこの「世界の遊び」の意識は、人の世を心地良いものにさせてくれます。
すべての作品
420mm×594mm / プリント /2010~2020 年
Under Color
闇に浸食された色々は粒子となり床に積もっている
2015~2020 年
MOVIE
Naked Film
この動画に使用しているスナップ写真は、現像した1本のフィルムすべての写真です。
動画はooyama.yまたは服部篤浩が編集制作しています。
Camera:Leica M4-P、OLYMPUS XA、RICOH GR1S、KONICA HEXAR
※再生すると音声が流れます。ご注意下さい。